体罰と暴力

いまテレビでは学校とスポーツ界で発生した「体罰」の話題で、いろんな人がいろんな事を言っている。
しかし、大阪で起こった高校生の自殺と、柔道での集団告発を「体罰での問題」と一緒に扱うのは間違っている。

そもそも体罰と暴力は違う。


大阪の学校で問題なのは、それが「体罰」ではなくて「暴力」だったからだ。
体罰という言い方をすると、やれどこまでの体罰は許されるのか…とか、ルールを細かく決めるべきだ…と話す識者(もどき)の方がいるが、それは違う。
暴力はダメ!

じゃあ、体罰はいいのか?!
と声を荒げる人もいるかもしれないが、こと体罰に関しては単純な話しにならない。
そこには、教師と生徒との人間関係が密接に関わってくるからだ。

自分は中学生の時に「体罰」を受けた。
それも複数の先生やクラブ活動(バレーボールをやっていた)のコーチから受けた。
しかし、そのどれもが暴力だとは思わなかった。
どの先生もコーチも、真剣に自分に向き合い、そして叱ってくれた。
そして自分自身、"何故叱られたのか" がわかっていた。
本当に感謝している。

教師が信頼に足る人物でなければ、生徒は体罰を認めないだろう。
そして、教師と生徒の人間関係は本人同士の問題であり、PTAがとやかく言うことではない。
その点、学校側は教育者たる自分達にもっと誇りを持っていいと思う。


そしてもう一つスポーツ界の問題。
今回、女子柔道の人達が声を上げたのは、とても素晴らしいことだと思う。
その声の意味を上層部が理解できていれば、こんな大事にはならなかった。
しかし、声の意味を理解できなかった人達がいることが問題だということを明らかにした。

この問題は2つある。
一つは、監督と選手の間には、信頼関係がなかったという事。
複数の選手が声を上げていることから、これは監督個人の指導者としての資質が問題のような気がする。
もう一つは、その問題を提起されながら上層部が何の手立ても講じなかった事。
こちらも資質が無い。
要は、資質の無い人達が協会を仕切っていたという事が問題なのであって、「体罰」が問題なのではない。


この二つの問題を取り上げて「体罰は是か非か」などと騒ぎまくるマスコミは大人ではない。
マスコミが大人じゃないと、政治家も国民も大人にならない。
頑張れマスコミ!