慶良間リベンジ 〜旅を終えて〜

IMG_1667.jpg1945年3月26日 朝8時4分、ここ阿嘉島の前浜ビーチに米軍が上陸した。
この3日前の23日には空襲、24日は艦砲射撃があり、駐留していた日本軍や住民に恐怖を与えた後の上陸だった。
阿嘉島の上陸を皮切りに、慶留間島には8時25分、座間味島には9時、渡嘉敷島には9時11分と立て続けに上陸し、一気にこの地を占領した。
座間味、渡嘉敷及び周辺の島々で暮らしていた住民は、日本軍の命令で集団自決し、その数は600人とも700人とも言われる。
そして、慶良間を制圧した米軍は4月1日読谷に上陸。その後3ヶ月間に渡って戦いが続き、本島では住民の1/4が亡くなった。
1945年 3月26日 『米軍、慶良間列島に上陸』(外部サイト)

IMG_1605.jpgそれから70年、慶良間を訪れた人達の中には、このように悲惨な戦争の事に思いを馳せる事なく帰って行く人も多いかもしれない。
私も、今回久しぶりに滞在し、青い海と星空の中で素晴らしい時間を過ごすことができた。
しかし、そんな "平和な時間しかないような" 慶良間でも、夜は爆音で満天の星空を切り裂きながら何機もの戦闘機が上空を飛び、昼間でも大型の輸送機が超低空で島々の間を何度も旋回していた。
そんな光景を目の当たりにすると、言葉にはできない憤りと共に、沖縄での戦争が終わっていない事を思い知らされる。

私の事務所は普天間基地の近くにあるが、米軍の飛行機は毎日飛んでいる。
飛んでいると言っても、単純にこの基地を離陸したり着陸しているのではなく、明らかになんらかの訓練をしている事がわかる。
沖縄に住む人達にとっては日常的な事でも、これは明らかに異常である。
そして、この異常さを本土の人はわかっていない。
疑問は解け、虚しさが残った -戦後70年の謎を解く-

報道規制されている日本のテレビ局ではニュースを流さないけど、宮古島では自衛隊の弾薬庫が作られ、石垣島では自衛隊の配備計画がある。
住民が反対しているのは辺野古だけではなく、70年経った今も沖縄は "日本" の犠牲になっている。
時々思うのだが、沖縄は独立し「琉球」としてアジアの中で生きていく道もあるんじゃないだろうか。

IMG_1764.jpgIMG_1762.jpg慶良間海峡を行く上陸艇と、座間味島に上陸する米軍。(大田昌秀著「これが沖縄戦だ」より)