キャロル・シェルビー Carroll Shelby -フォードvsフェラーリ-

Ford-v-Ferrari1.jpg2020年1月10日から映画「フォードvsフェラーリ」が公開される。

荒唐無稽なこの映画のストーリーは、なんと本当にあった話である。
実話なので、結末は当然誰もが知っているとおりなのだが、現代のレースでは絶対にあり得ない。
1960〜70年代は、F1も含めこんな夢のある挑戦ができる時代だった。
なお、この伝説の1966年のル・マン24時間レースについては、下記のページが詳しいので、映画を観る前に予習しておくといいかも。
映画『フォードvsフェラーリ』の元になった実話と、1966年のル・マン24時間レース(外部サイト)

Ford-v-Ferrari2.jpgマット・デイモン演じるキャロル・シェルビーについては、日本ではあまり馴染みがないかもしれない。
キャロル・シェルビーの経歴、そしてフォードと組むまでの経緯については、下記のページが詳しい。
【自動車人物伝】キャロル・シェルビー(外部サイト)

しかし、こんな男のロマンを絵に描いたような生き方をしたキャロル・シェルビーに、日本人メカニックとの交流があった事は一部のコブラファンしか知らないかもしれない。
秘蔵写真と共に紹介したいと思う。B7.jpg写真の日本人は、「鈴木板金」の創業者である鈴木義雄氏である。
鈴木板金は、後に社名を「ベルコ」と改め、日本のレーシングカーコンストラクターの草分け的な存在となった。

B6.jpg潰れてしまったShelby Cobraのフロントセクションをハンマーで直す鈴木氏。
ベルコのWEBサイトによると、このレースは1963年のデイトナで、ドライバーはタイニーランド Tiny Lundとなっている。
しかし、1963年のデイトナでShelby Cobraのカーナンバー「24」が走った記録はない。
私が調べたところ、これは1964年の「Daytona 2000」でドライバーはグラハム・ショー Graham Shawじゃないかと思う。
ちなみに、この時は予選でクラッシュしてしまうが、決勝レースには出走している。
クラッシュ後の状態。
https://www.racingsportscars.com/photo/1964/Daytona-1964-02-16-024b.jpg

B10.jpgこの写真は、レース後にベストメカニック賞を授与される鈴木氏。
これは、予選でボロボロになった車を、レースに出走できる状態まで修復した功績を讃えられたんじゃないかと思う。
ちなみに、一緒に写っている女性は1959年のミスユニバース日本代表の児島明子さん。

B9.jpgカリフォルニア州にあるリバーサイド・レースウェイ -Riverside Raceway-を訪れた鈴木義雄氏。
このサーキットでケン・マイルズが亡くなった。

B8.jpgシェルビー・コブラ -Shelby Cobra Daytona Coupe Prototype-とキャロル・シェルビー。
メッセージにはこう書いてある。
「To a Very Dear Friend Mr. Suzuki. The Best always. Carroll Shelby」

B12.jpgこれは、来日した際に自宅前で撮影された鈴木氏の長男哲夫氏とキャロル・シェルビー。
鈴木義雄氏は2006年1月、キャロル・シェルビーは2012年5月10日に他界した。
そして、私の生涯の友だった鈴木哲夫は、2016年の夏に亡くなった。
心残り

ここで紹介した写真は、生前に鈴木哲夫からもらっていたものである。
もし彼が生きていたら…「フォードvsフェラーリ」を観るために誰よりも早く映画館に足を運んだだろう。

IMG_2196.jpg鈴木哲夫が数量限定で販売した「COBRA 427SC」のハーフカットモデル。

最後に、キャロル・シェルビーの肉声と貴重なビデオをご紹介。
「My name is Carroll Shelby and performance is my business.」…めちゃカッコイイ!!