F-1 世界選手権 in Japan


今日は109シネマズの日なので、映画鑑賞が1,000円。
やっと公開された「ラッシュ -RUSH-」を観て来た。

楽しかった〜!
レース映画というのは、映画の中でも題材にするには一番難しいと思うんだけど…ロン・ハワード監督、ナイスジョブ!

1976年というと、自分は19才。
日本で初めて行われたF1グランプリの決勝で、復帰したラウダが土砂降りになったレースを開始早々に自ら棄権し、ハントが逆転でチャンピオンになった事は、レース雑誌を読んで知っていた。

1976f1japan.jpg

このレースには、スポットで4人の日本人ドライバーが参加していた。

予選で、世界をアッと脅かせたのは、日本製F1マシンのKE007と長谷見昌弘選手。
初めてF1に出たマシンとドライバーが、予選1回目に、1分13秒88というベストタイムをマークし、なんと4番手につけちゃった。
こんな事は、現代のF1ではぜったいにあり得ない。
当時はコスワースDFVという汎用F1エンジンが誰でも買える時代だけど、何もかも初めてのエントラントが、こんな夢みたいな事をしでかせる面白さがあった時代なんだね。

ところが、夢のポールポジションを狙った予選2回目でKE007のサスペンションが壊れ、長谷見選手は最終コーナーの出口でクラッシュしてしまった。

IMG_2082.jpg

2007年の富士スピードウェイ。
MOTULのホスピタリティで長谷見さんと話した時、自分の中で一番知りたかった事を聞いてみた。

「あの時マシンが壊れなければ、ポールって取れてましたかねえ〜?」
「取れてたよ!」

長谷見さんは言い切った。
お〜〜、レースに "もしも" は無いけど、それでも想像を膨らませてみたい。
"もしも" あの時にマシンが壊れず、翌日の予選も走れていたら、国産マシン&長谷見選手は、初めてのF1でポールを取れていたかもしれない。
ロマンだね〜。


そして、決勝レースで世界を驚かせたのは、中古のティレルを駆った星野一義選手。
ラッシュを観た人はわかると思うけど、ラウダが棄権したあの雨のレースで、星野選手は予選21番手から、スタート1周目で8位、そして10周目には3位まで順位を上げた。
しかし、路面が乾くにつれ国産タイヤが悲鳴をあげ、何回目かのピットインではもう換えるタイヤが無かった。

長谷見選手、星野選手共、その時点で十分世界と戦えるドライバーだったにも関わらず、1977年を最後に、その後F1シリーズにエントリーすることはできなかった。そして、中嶋選手が初めてシリーズエントリーできるまで、さらに10年の歳月がかかった。

ラウダとハントほど、極端なキャラクターの違いは無かったけれど、長谷見選手と星野選手が現役で走っていたあの当時は、日本のレース史の中でも一番熱い時代だったかもしれない。

IMG_1217.jpg