行けないから、しあわせなのだ

司馬遼太郎の「菜の花の沖」の中で、嘉兵衛のこんな言葉がある。

「行けないから、しあわせなのだ」


行ってみたい "憧れ" の場所がある。
「そこは、どんな所なんだろう?」
と様々な想像を膨らませ、そしてその場所へ行けた時の事を考えると胸がワクワクする。
実際に行ってみたら、そこが想像通り素晴らしい場所なのか、それほどでもなかったのかハッキリする。
そして、それまでのワクワクした感じは無くなる…。


いま、自分には行ってみたい場所がいくつかある。
それは北だったり、南だったり、海外だったりするわけだけど、その場所に行った自分を想像できる場合と、まったくできない場合がある。
素晴らしい景色や旅の楽しさもある程度想像できるし、困難な状況も思い浮かぶ。
しかし、それらがハッキリとした形で想像できない事に、楽しさやワクワク感がある。

日本だけで考えても、自分が生きている間に行けない場所の方が断然多いだろう。
という事は、自分は死ぬまでワクワクしていけるという事だ。

「行けないから、しあわせなのだ」

こんな幸せな事はない。

IMG_4453.jpg礼文島船泊から見たスコトン岬とトド島