日本の教育

「教育」…

漢字の意味そのままだと「教えて育てる」。
そして、大辞林では「他人に対して意図的な働きかけを行うことによって,その人を望ましい方向へ変化させること。」という事らしい。


今日、あるSNSを見ていたら、こんな写真投稿があった。

niigata.jpg 出題した "教育者" の採点では「×」。

僕は「○」だと思う。
でも、中学校の先生をしている娘に聞いてみたところ、「これは×」と言い切った。

この回答をした生徒が、問題を見た瞬間に「潟」の字を思いついたのか、散々考えたあげくにこの字を埋めたのかはわからない。
でも、僕は決して「×」ではないと思う。


大辞林の言う「その人を望ましい方向へ変化させること」の "望ましい方向" とはどういう意味なのか考えてみた。
「望ましい方向」とは、"教育者の考える望ましい方向" であり、生徒の望む方向ではないような気がする。

「教育」はとても大切。
大学受験が目標ではないし、教師の価値観を押しつける事でもない。
日本の教育は、個人の個性を延ばす事ではなく、判で押した様な人間を作っているだけのような気がする。

子供達一人一人には、何かしら優れた能力や個性、そして興味を引かれる事があると思う。
親と教師がまず教えるのは、文字の読み書きや、最低限必要な算術、そして歴史と道徳。
その後は、子供達に能力や個性を発見できる機会を提供し、それを延ばしていけるように精一杯協力してあげたらどうだろう。


英語の「Education」という単語は、日本語に翻訳すると「教育」。
しかし、「Education」の本当の意味は、「指導または訓練によって、人の力と能力を開発すること。」という事らしい。

日本が、パワフルで楽しい国になるには、教育からEducationへの転換が必要だ。
僕が生きている間に、皆が大学を目指す必要がなくなくなった日本を見てみたい。