再出発

今日は弟の引越しの手伝いをする。
住み慣れた川崎を離れ、初めて横浜の住人になる。

弟は20代の時に結婚し、婿養子として群馬に移り住んだ。
ホテルで鉄板焼きの料理人として腕を磨き、30代で高級ステーキを目の前で料理するスタイルの店を持った。
その店ではホテルで弟のファンになったお客さんが常連になってくれ、奥さんや子供達も手伝ってくれたが、弟は朝から晩まで寝る時間を削って働いた。
好きな仕事でなければ音をあげていただろう。
しかし、2001年頃に起こった狂牛病問題(BSE問題)で、肉を扱う飲食業が大打撃を受けた。
弟の店も例外ではなく、店を閉じることになった。

その後、弟は居抜きのイタリアンレストランを借り受け、反対する家族に内緒で店を始めた。
南欧ダイニング GAJA がいあ

店では、カラフルなバンダナを巻いた若い女性のアルバイトが元気に接客していたものの、2フロアの店だったことから常時数人のアルバイトを置かねばならず、飲食業の不況も重なってだんだんと経営が厳しくなった。
そして、いよいよ営業が立ち行かなくなり、2009年末に店を閉じた。

その後は、料理人とは関係ない温泉宿の仕事を住み込みでやり、川崎の実家に戻ってからは田園調布や新橋の鉄板焼き店で働いた。
中国やタイに新しく店を出す時の料理人で来て欲しいという話もあり、実際にバンコクに店舗の視察に行った事もあったけど、どれも具体的になる前に話がたち消えていたようだ。
そんな時、中学時代の友人からの紹介で横浜の洋食屋さんを引き継がないかという話があり、弟は悩んだ末、その話を受けることにした。

IMG_0755.jpgIMG_1289.jpgそして今年の1月、古びた洋食店を改装し新装開店。
ちょうどそういうタイミングで、長い間別居していた奥さんとの離婚も成立した。
弟には、二人の娘がいるが、どちらも結婚して孫もいる。
波乱万丈の人生を歩んできた弟だが、「そこまでやらなくてもいいんじゃない?」というくらい、立派に家族への責任を果たしてきたと思う。

引越し先のアパートに荷物を運び、弟が最初にしたのは、亡くなったお袋の形見の洋服を窓際に吊るす事だった。
今日はいろいろな意味で再出発の日。
体に気をつけ、これからは自分らしく生活を楽しんで欲しいと心から思う。

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