チャリとキャンプ 2日目〜富士から沼津〜

2日目、前日は、寝袋に入って3秒で寝てしまった。
今回の寒中キャンプでは、テントの床にRumplのブランケットを敷きその上にTHERMARESTのマット、ズボンの下にホットカプセル、足元はSmartwoolの靴下の上からISUKAのテントシューズを履いて寝袋に入った。
ちなみに、上着はフリース2枚だけ。
全く寒くなかった。

IMG_0162.jpegテントの中でsiriに教えてもらった日の出の時間に合わせて起床。
日の出少し前の湖畔はこんな感じで幻想的。
もし自分がカヤックを持ってきていたら、この時間は絶対に湖面に浮かんでいると思う。

のんびり朝飯を食べてから、のんびり撤収を開始。
今日はこの後、自転車で富士駅から沼津駅までサイクリングする。

IMG_0168_20221119.jpg富士山を横に見ながらドライブできる国道139号線はなかなかいい。
途中、信号待ちでメーターを見ると、ガソリン残量による走行可能距離が「1000km」と表示されていた。
満タンから260キロ走っているのに、今のペースで走ったらあと1000キロ走れまっせ(!!)という、ハイブリッド車も真っ青になる好燃費である。
国道139号線は燃費に優しく走りやすい。

富士駅前の駐車場に車を停め、Googleさんに案内してもらいながらサイクリングを開始。
ゴールの沼津駅から富士駅までは電車で戻ってくるのに、女子1号のウェストバックには輪行バッグが入らない。
しっかり計画を読んでいない証拠である。

IMG_0171_20221119.jpgIMG_0170_20221119.jpgまず向かったのは、ディアナ号の錨。
ディアナ号…と聞いて、どこの国の軍艦かわかる人は、相当の幕末好きかつ伊豆好きである。
ディアナ号はロシアの軍艦で、開国交渉で下田に停泊していた際に発生した安政の大地震で損傷。修理を行うため、戸田へ向かう途中で大しけに遭い田子沖で沈没した。
田子の漁師達は総出でディアナ号乗組員の救出に向かい、乗組員全員を救出。
その後戸田で日本初の西洋式帆船「ヘダ号」が建造され、病気などで亡くなった人を除いて全員ロシアに帰国できた。
この一件を機会に、ロシアと日本は友好を深めた。

下の写真はディアナ号の船長だったプチャーチン。
プチャーチンと交渉にあたったのは川路聖謨(かわじとしあきら)で、なかなか港を開かない日本に対してプチャーチンが苛立ちを見せる局面もあったが、真摯に交渉を続けた2人は最終的に互いを認め合い、その先にある国を認め合った。
現在、ロシアと日本はあまりいい関係ではないけど、昔は役人を含め何かと高圧的な態度で接してくるアメリカよりも対等な関係を築けていたように思う。
興味のある方は、歴史小説「落日の宴」(吉村昭著)を読むことをお薦めする。

IMG_0173.jpgディアナ号の錨に触れてみる。

IMG_0176_20221119.jpegさて再出発…と思ってスマホで地図を確認すると…ふむ、満タンだったはずのバッテリー残量が50%を切っている。
Googleさん無しでは道がわからないので、モバイルバッテリーをくくりつけた。
これで安心。

(あとがき:2022.11.20)
Appleストアで、iPhone SE(第一世代!!)のバッテリーを交換。
7,500円。

IMG_0178.jpgディアナ号の錨から数分で海に出た。
田子の浦港を迂回する以外は、この堤防の上をひたすら東に向かう。
ただし…向かい風である。

IMG_0179_20221119.jpg昼飯に予定していた店は、なにかのイベント参加でやっていなかった。
もう14時を過ぎているので、ランチが終わっている店が多い。
やっと沼津駅近くで営業している「伊太楼」という洋食屋を発見し入店。
私が注文したのはハンバーグセット。

map_20221119.jpgこれで、本日のサイクリングは終了。
走行距離は30キロ。

東海道線で富士駅に戻り、そこから車で5分走ったところにある日帰り温泉を出た時には、外はもう真っ暗だった。
コンビニでコーヒーを買ってから、東名高速で帰路に着く。
向かい風の中、ヘロヘロになるまで頑張り、お風呂上がりのビールをやりたいだろう女子1号にサッポロをご馳走する。
荷物が多いので、残念ながら本日の打ち上げは無し。
美味いビールまで私はもう数時間のガマンである。