無理やりワンウェイ 奥能登3日目〜珠洲から五色ヶ浜〜

IMG_1490.jpg3日目の朝、"今日の海" を見に海岸まで散歩。
どうやらカヤック最終日も、いい1日になりそうだ…とこの時は思っていた。
民宿の朝食時間まで時間があるので、いつものように一仕事して時間を潰す。

今日の計画…まずは能登町の五色ヶ浜に車をデポしに行く。
その後、カヤックが置いてある珠洲市の海岸まで自転車で戻り出艇。
五色ヶ浜でカヤックを撤収した後は、珠洲市まで車で戻り自転車を回収。
ついでに市内にある銭湯で汗を流し、五色ヶ浜までに戻ってキャンプする。
ただし、カヤックの打ち上げがキャンプだと寂しいので、近くの集落まで出向いて居酒屋で一杯…という、元気いっぱいな計画である。

IMG_1495.jpg五色ヶ浜から出艇場所までは、約18キロで累積標高は150メートル。
昨日よりは少し楽。

戻ったら、自転車を堤防の階段の所にロックし、カヤックウェアに着替えて出艇準備をした。
なんとなくトライアスロンをやっている気分で、思わずそそくさと動いてしまうけど、今日はたっぷり時間があるので急ぐ必要はない。

P5050107.jpg10時40分。
準備完了。

P5050110.jpg10時47分。
テトラポッドを超え、バウを蛸島漁港方向に向けると、カモメの群れがこっちめがけて飛んできた。
絶好のシャッターチャンスだったのに、カメラを取り出すのが遅れ、水面ギリギリを飛翔する2羽が撮れただけだった。
いつか自分のカヤックの上で、カモメが羽を休めてくれたら嬉しい。

P5050111.jpg10時47分。
ふと頭上を見上げると一直線に飛行機雲。
全く飛行機が飛び去る音がしなかったので、へ?これは地震雲ですか?…と一瞬思ったけど、地震雲はこんなに細くないよね?!

P5050119.jpg見附島を目標に定め、鏡の様に凪いだ海にパドルを入れる。
能登の集落は、家屋のデザインが統一されているのか、海から見える家々が自然の中に溶け込んでいてとても美しい。
北前船で日本海を行ったり来たりした高田屋嘉兵衛が見たのもこんな景色だったのでは?…と思えるほど、古き良き時代の日本らしい景色である。

P5050124.jpgP5050128.jpg11時44分。
見附島に到着。
対岸にはキャンプ場があるみたいで、沢山の人が島に続く石の上を歩いていた。
ただ、途中で石が途切れているようで、島の手前まで来て引き返している。

後で調べたところ、この島は吸水性に優れた珪藻泥岩(珪藻土)でできているため、島の上は樹木が生い茂っている。
この時も沢山の鳥がひっきりなしに鳴いていた。
もともと島の上には見附神社があったらしいけど、1993年2月7日に発生した能登半島沖地震で倒壊し、今では島の北側に鳥居だけが残っている。

map_notohantouokijishin.jpgちなみに、能登半島沖地震の震源地は「北緯37度39.4分、東経137度17.8分」なのでこの位置。
マグニチュードは6.6、一番揺れたのは輪島で震度5だった。

P5050131.jpg真っ直ぐ赤崎を目指す。

P5050132.jpg12時42分。
赤崎に上陸。
この赤茶色の岩は、溶結凝灰岩である。

P5050137.jpg昨日、おばあに作ってもらった筍ご飯のオニギリが昼飯。

P5050138.jpg13時14分。
赤崎を離脱。
岬の周辺は広範囲で浅瀬があり、沢山の旗が立っていた。
風が出てきてバシャバシャした海を、浅瀬に乗り上げないように通過した。

P5050140.jpgP5050143.jpgこんな海藻の森が続いている。

P5050148.jpg14時18分。
五色ヶ浜に到着。
1日5回海の色が変わることからこの名前がついたらしいけど、いったいどう変わるのかは不明。
長かったようで短かった3日間のカヤック旅はここで終わり。

P5050149_20230505.jpg14時42分。
海岸からカヤックを運び、さて分解…って時に、それは起こった。
地鳴りと共に、足元が大きく揺れ出した。
スマホは2011年に何度も聞いた、あの嫌な警告音を鳴らしている。
車も揺れている。
ついに海の近くにいる時に来たか!!…津波は来るのか?…というのが揺れながら思ったこと。
海岸にいた家族連れや、観光客が慌てて車に飛び乗り、海岸から立ち去っていった。
スマホにインストールしている地震アプリで震源地を調べたら、半島の先端付近の内陸だったので津波は来ないと思った。
しかし、大きな余震が富山湾で発生した時は津波が来るかもしれない…ってことで、とりあえずカヤックをカートップして、何があってもすぐ動けるように準備した。

震源地は、昨日までいた珠洲市で震度は6強、ここ能登町は5強。
私はこれから珠洲市まで自転車を取りに行かなければならない。
銭湯はたぶん営業をストップするだろう。

(あとがき:2024.1.4)
2024年1月1日に発生したマグニチュード7.6の能登半島地震の震源地は、この日と同じ辺りの内陸。
それでも、珠洲市や能登町を津波が襲った。
私が「震源地が内陸だったので津波は来ないと思った」というのは間違いで、地震の規模やメカニズムによっては、震源地が海でなくても津波は来る。

IMG_1498_20230505.jpg15時39分。
珠洲市街に到着。
自転車は、ワイヤーロックで転倒を免れていた。
ダメ元で銭湯に行ってみた…当然休業中。
街の中を歩き回ることはしなかったけど、道路から見える家は窓ガラスが割れていたりした。
さて、私はどうしましょう?

けっきょくは、お風呂も飲み屋で打ち上げも諦め、珠洲市のコンビニでビールと夕飯を買って五色ヶ浜に戻ることにした。
コンビニの店員さんに話を聞いてみた。
「揺れはどうでした?」
「すごく揺れました。揺れの向きが悪かったら商品が全部崩れていたと思います。」

予報では今夜から明日にかけて雨が降る。
五色ヶ浜に戻り、カヤックをしまった直後に雨が降り始め、しばらくすると止んだ。

IMG_1502.jpeg18時20分。
チェアとテーブルを海岸に出して、コンビニで買ったお弁当を食べた。
ポツリポツリ雨が降ってきた。
今日はテントを張らず、車中泊にする。
被災された方達は大丈夫なんだろうか…さぞ不安で心細い夜を過ごしていることと思う。

車の中でワインを飲みながらネットを見ていたら、見附島の一部が崩落したというニュースが飛び込んできた。
自分が見附島の真下にいたのは、地震の3時間前。
もし、今回みたいな大地震の時に、海の上にいたら地震は感じるんだろうか?
海上で緊急地震速報が鳴ったら相当焦ると思う。

筍ご飯のオニギリを作ってくれた珠洲市のおばあに電話をかけた。
「大丈夫でしたか?」
「棚が傾いたり、何かが飛んできたけど大丈夫だった。あなたは今どこにいるの?」
「能登町にいます。」
「あら、店に来れば?」
「もう飲んじゃったので残念ながら行けないです。余震がありそうだから気をつけてくださいね。」
「ありがとう。今度はいつ来れる?」
「遠いからなかなか行けないけど、また行きたいと思ってますよ。」
「私年だから早く来てくれないと死んじゃうよ。」

夜寝ていたら、大きな余震と緊急地震速報で起こされた。
長かった3日目が終わった。
最後に、今回の地震で亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた方々のご無事をお祈りします。

map_20230505.jpg(あとがき:2023.5.6)
IMG_1537_20230505.jpg届いた緊急地震速報の通知情報。
昨日21時58分にあった余震の震源地が富山湾となっているが実際は不明らしい。

(あとがき:2023.5.9)
IMG_1680.jpg東京新聞の記事によると、珠洲市では宿泊施設のキャンセルが続出していた。
多くは予約をしていた利用者からのキャンセルだったが、私が泊まった民宿くにまつでは、おかみさんが自らキャンセルをお願いしたらしい。
あのハキハキして元気のいいおかみさんの顔が浮かぶ。
民宿くにまつでは被害がなかったとのことで安心したけど、早く平穏な日常が戻って欲しい。

(あとがき:2023.5.10)
IMG_1681_20230505.jpg東京新聞に載った斎藤美奈子さんのコラムは「珠洲へのエール」だった。
その文章には、珠洲市と奥能登への思いが溢れている。

(あとがき:2023.5.17)
map_shingenchi.jpg震源地はココだった。
地震前日の同じ時間、私は震源地の脇を自転車で走っていた。

doshakuzure.jpgそして、初日にキャンプをしていた所からわずか500メートルの場所で土砂崩れがあった。
この辺りは、クロダイを釣りに来る人がいる場所だけど、釣り人はいなかったんだろうか…。

[参考:Googleマップでの検索方法]
緯度経度での検索方法です。
例2)北緯37度39.4分、東経137度17.8分
⇨37°39'4"N 137°17'8"E
例2)北緯37.5度、東経137.3度
⇨37.5°"N 137.3°"E