12年目の思い出話

銀座で働いている弟に食事を誘われた。
何年ぶりか思い出せないほど、久しぶりの銀座である。
調べてみたら前回行ったのは2008年らしい。
銀座、銀座、銀座〜
なんと(!)、この頃はまだガラケーを使っていた。

一軒目は、郷土料理の店。
店は、有楽町から歩いて5分の場所にあるけど、なぜか道を間違えて、20年前までクライアントのビルがあった路地に入り込んでしまった。
めちゃくちゃ変わってる。

弟と合流し、ビルの5階に入店。
事前に「兄ちゃんの好きそうな店だと思うよ。」っと聞いていたけど、店に入るなり有線から流れる流行り歌(?)が聴こえてきたので興醒め。
今日は弟のおごりだから口には出さなかったけど、客単価1万円を超える店で有線は流して欲しくない。

弟は7年前に横浜で洋食屋をやっていた。
しかし、場所が悪かったのか売上が伸びず、今は一料理人として高級鉄板焼きの店に雇われている。
人の繋がりや義理を大事にし過ぎるところがあり、横浜の店を出した場所も人の紹介だった。
プライベートでも知人から誘われる時は財布をあてにされているらしく、最近は休みの日に声がかかっても仕事を理由に断っているらしい。
そして、今働いている店もストレスが溜まる職場のようだ。

「最近、何か趣味を持たないと…って思ってるんだよね。」
「昔やってたゴルフは?」
「ゴルフは一人じゃできないからね。」
「釣りは?」
「待ってるのがダメ。昔オヤジを誘って釣りに行った時も、自分は竿に鈴をつけて車の中で本を読んでたりしたけど、オヤジはその竿を持ってずっと待ってた。」
弟が父親の話しをするのは意外だった。
弟は、群馬でやっていた店を閉じ、温泉宿でアルバイトをした後は実家に住んでいたことがある。
再出発
その頃は両親も健在で、家族3人住み慣れた実家で暮らしていた。
少しだけわからんちんになっていたオヤジは、お袋が癌で入院していた病院にもほとんど見舞いに行かず、一時帰宅した際も周りを困らせていた。
2011年の夏にお袋を癌で亡くした後は、嫌っていたオヤジと二人だけの生活になり口も聞かなかったらしい。
そして、翌年オヤジが亡くなった。
最後に見た光景

弟は、何かと気にかけてくれていたお袋のことが好きだったので、二人が亡くなった後は、お袋の話は出てもオヤジの話は一度も出なかった。
ところが今日、弟がオヤジの思い出話しをしている。
時が経ち、何かが変わったのかもしれない。

二軒目は、弟が一度行ったことがあるらしいコリドー街の近くにあるカジュアルなバー。
その店はとても小さく、野毛の都橋商店街の店くらい小さい。
弟が話の口火を切った。
「ママ、高校どこだっけ?」
なんと(!)、ママ(…と言っても私よりも30才年下)は、実家のあった場所のバス停の一つ隣りバス停から同じ高校に通っていた大後輩だった。
弟には、私が好きな小正醸造のKOZURUを勧め、ママにもご馳走しながら、私は勧められた泡盛(春雨カリー)を飲んだ。

三軒目に行くという弟と別れ、久しぶりにコリドー街を歩いて新橋駅から電車に乗ることにした。
20代の時によく通い、両親を連れて来たこともあるシャンソンの店「蛙たち」は、まだ健在だった。

IMG_5473_20240520.jpg