2024年の避暑 南八ヶ岳1日目〜南沢ルートから赤岳鉱泉〜
⇨リュックの中身は何ですか? 尾瀬2日目
昨年の尾瀬で家庭問題を起こしたパーヤマが「立山に行ってみたい」と言ったのは、昨年の12月。
ではご一緒に!!…ということで、高校の同級生3人(パーヤマ、山岳会女子1号、私)で、二泊三日の立山遠征を計画した。
ところが…予定していた7月の第3週は天気がイマイチ。
ガスガスの山に行って "飲んで寝るだけ" になっても時間とお金の無駄なので、立山遠征は、パーヤマが次に三連休を取れる9月に延期することにした。
しかし、思いがけず暇人と化した私にとって、最近の暑さは我慢できない。
どこか天気のいい山はないものか…と思って探してみたところ、第4週の八ヶ岳が良さそうだ。
さっそく、パーヤマと女子1号に一泊二日の八ヶ岳遠征を提案してみた。
忙しいパーヤマはNGだったけど、いつもやる気がある女子1号からは「行けます!!」と返事があった。7月25日 木曜日、美濃戸口の駐車場に車を停めて歩き始めた。
今日は、赤岳鉱泉まで行く。
本当は、林道を走って赤岳山荘まで車で行きたかったけど、私のA3では荒れた路面で底を打ちそうなので、美濃戸口から歩いて行く。
ちなみに、美濃戸口から赤岳山荘までは歩いて1時間かかるので、まぁまぁ遠い。
赤岳山荘まで行く車に追い越されながら、美濃戸口から50分ちょっと歩いて赤岳山荘に到着。
赤岳山荘周辺に駐車してある車を見たら、SUVや四駆以外にも車高の低い車が何台もあった。
二、三度底を打つ覚悟があれば、A3でも行けないことはなさそうだ。赤岳山荘から少し行った所にある美濃戸山荘の前には、行者小屋に向かう南沢と、赤岳鉱泉に向かう北沢への分岐がある。
我々は赤岳鉱泉に泊まるので、本来であれば南沢を行けばいい。
しかし、どちらも初めて使う道なので、後学のために両方歩いてみたい。
事前に考えた結果、多少遠回りにはなるけど、行きは南沢を行き、帰りは北沢を歩いてみることにした。南沢の歩き始めはこんな感じの道が続いて爽やか。
雨の日は滑りやすい道…という事前情報もあったけど、この程度なら高見石から麦草峠への道の方が何倍も滑りやすいと思う。美濃戸山荘の分岐から行者小屋までのコースタイムは2時間半。
前を歩くのは、軽自動車の底を打ちながら赤岳山荘まで車で行った女性で、お腹の調子が悪いので水を飲まないで歩いてる…と言ってヘロヘロになっている。
登山中に水分を補給しないのは相当マズいと思う。行者小屋に到着し、行動食で軽く休憩。
ヘロヘロ女性がなかなか到着しないので、登って来るハイカーに「一人で登ってる女性を見ませんでしたか?」と聞いてみる。
「あ〜いました。もうすぐ着くと思いますよ。」…と言われたもののなかなか来ない。
3人目の若い男性ハイカーが「その方だったら50メートルくらい後ろを歩いてますよ。」と教えてくれた。
見ると、疲労困ぱいでヨタヨタ歩いて来る女性の姿が見えた。
なんとか辿り着けてよかった。
その女性は行者小屋に泊まり、明日は赤岳に登る予定で来たらしい。
「しっかり水分摂って、明日は無理しないでくださいね。」と声をかけ、我々は赤岳鉱泉に向かうことにした。
行者小屋から赤岳鉱泉までは、コースタイムで40分。
中山乗越の分岐からは、下り坂になる。思ったよりも早く赤岳鉱泉に到着。
行者小屋とは比べものにならないほど立派な山小屋である。
受付前に、モツ煮をもらって到着生ビール。
お疲れさま〜!!
ひと息ついてから受付へ。
我々の寝場所は、大部屋の二段ベッドの上段だった。
唐松山荘の二段ベッドから転落して記憶喪失になって以来の "二段ベッド上段" なので、少し(だいぶ)緊張する。
⇨北アルプスで記憶喪失 1日目
食堂から続く急勾配の階段を鎖(手すり)につかまりながら慎重に下って大部屋に入り、3点支持で慎重に二段ベッドへ続く梯子を登った。
まだまだ安心できない。
寝床をセッティングしたら、クライムダウンで慎重に梯子を下らなければならない。
まるで明日登る赤岳の予行練習をしているみたいだ。夕食まで時間があるので、テラスでワインをやる。
この時間がいい。夕食は、赤岳鉱泉名物のステーキ…というか鉄板焼き。
大部屋にはあまり人がいなかったので、小屋は空いているのかな?…って思ってたけど、食堂はほぼ満席。食後は、ウィスキーを持って再びテラスへ。
避暑を通り越し、まぁまぁ寒いのでホットウィスキーにする。
ソロでテント泊している女性がいた。
「いつまでいるんですか?」
「う〜ん…とりあえず明日も泊まります。その後はまだ決めていません。」
自由人である。
楽しい話しを聞かせてもらい、ありがとうございました。
(2日目へつづく)