南無谷撤退 〜金谷から岩井〜
「撤退」…ウィキペディアによると軍事用語らしいが、広義としては「当初予定していた計画を途中で諦めること」という意味である。
人生において、撤退した事が無い人っているんだろうか?
私は、仕事での撤退はいくつもあるし、遊びでも撤退ばかりしている。
⇨2012年1月 九十浜でタオルを投げる 〜伊豆 須崎半島〜
⇨2013年1月 長浜帰還できず 〜東伊豆 網代周辺〜
⇨2013年3月 赤旗は2時間早くやってきた 千葉1日目〜金谷から元名〜
⇨2013年9月 嵐は来るのか? 千葉2日目〜富浦撤退〜
⇨2014年3月 東伊豆のいちばん長い日 〜伊東から富戸〜
⇨2015年5月 やっぱり中木は遠かった 〜松崎から千貫門〜
⇨2015年6月 初めての南風 〜宇茂佐撤退〜
⇨2015年6月 8キロの壁 〜安富祖撤退〜
⇨2015年6月 二度あることは三度ある 〜古宇利島撤退〜
⇨2016年7月 風男の悲劇 〜屋我地島〜
撤退は主に海でしている。
特に、2015年6月は三日連続の撤退である。
そして、陸上でも撤退する場合がある。
⇨2018年8月 山頂直下は39度 〜日光白根山〜
⇨2018年9月 北アルプスで記憶喪失 1日目〜唐松岳〜
撤退したくてもできなかった時もある。
⇨2015年10月 南伊豆探検隊 〜南伊豆遊歩道 吉田から入間〜
三連休中日の2月10日。
天気は良さそうだけど、風が強い。
SCWで見る海上は真っ赤か。
こういう日は近所の山を歩くのが定番だけど、たまには違った趣向でプチっと旅をしてみることにした。
最近ネットで発見した千葉の富浦近くにある良さげな宿を、金谷港から現地まで "歩いて" 行って偵察する…という企画である。
こんなバカげた企画には誰も興味を示さないはずなので、一人で行くことにする。
北風ビュービューなので、船内で風裏を探して40分間の船旅。
フェリーで千葉に向かうのは久しぶりなので、思ったよりも楽しい。
金谷港では、例によってアクロバティックな着岸。
ブリッジから船首と岸壁との間は見えないと思うんだけど…いつも関心してしまう。
上から見た動画もあったのでシェア。
一度でいいからブリッジで見てみたい。
金谷港からは、基本的に内房なぎさラインに沿って歩いて行く。
どこで昼飯にしようかなぁ〜などと、呑気な事を考えながら歩き出してはみたものの、このルートが「恐怖のルート」だということに、呑気なオジサンは気づかされる事になる。
歩き始めてしばらく行くと、金網で仕切られた空き地の先に神社の鳥居が見えた。
はて?封鎖されている神社?…と思っていると、金網に切れ目があり、海側に抜けられる道が続いていた。
急ぐ旅では無いので、迷うことなく入ってみると、なにやら線路の様な物が海に向かって続いている。
すぐに久留和漁港裏の廃線を思い出した。
⇨裏か表か 〜葉山周辺〜
線路は岩を削って作った切り通しの所で途切れており、その先に進むと崩れた線路の先の海の中に線路が続いている。
久留和は養殖生簀と陸を結ぶトロッコの線路だったが、これは何の跡なんだろう?
別の角度から見ると、線路が続いている岩には穴が開いていて、階段の様な物がある。
人が渡るだけであれば、わざわざ線路を引く必要はないので、やはり何かを運ぶためのトロッコがあったのだろうか?
ある人のブログでは、ここに造船所があったと書いてある。
だとすると、この線路は出来上がった船を海に下ろすためのものだったんだろうか?
それにしては切り通しの幅が狭すぎる。
頭の周りに「?マーク」を回転させながら歩いていると、最初の休憩場所に考えていた「岬カフェ」への道があった。
ここは、吉永小百合が主演した『ふしぎな岬の物語』の舞台になった場所である。
お金の持ち合わせが少なく、思ったよりも時間が押しているので、店には入らずに退散。
さて、明鐘隧道。
このトンネルには歩道が無く、迂回できる道も無い。
そして、トンネルの入口にはこんなボタンが付いている。
はて?このボタンを押すと何が起こるんだろうか?
とりえず押してみる…何も反応なし。
念の為もう一度押してから、トンネルの中に一歩を踏み出した。
入口付近は明かりが差し込んでいたが、途中から暗くなった。
これはめちゃ怖い。…というか対向してくる車の運転手も人が歩いているなんて思わないだろうから怖いだろう。
⇨明鐘隧道のストリートビュー
そして元名海岸に出る手前のトンネルは長いは途中で曲がっているはで明鐘隧道よりも怖い。
ヘッドランプを持って来なかったので、スマホのライトで対向車に注意を促しながら進むものの、びっくりしてブレーキを踏んでいる運転手さんもいる。
怖いのは100万倍こっちの方である。
命からがら元名海岸に到着。
保田漁港を過ぎた辺りで、懐かしい場所に寄ってみた。
7年前の同じ週末、沖にある定置網のブイでカヤックに穴が開き緊急上陸したのがこの場所。
この時の修理跡は、今でもそのまま残っている。
⇨風の千葉 1日目 浸水編〜金谷から富浦〜
真珠島に渡るコンクリート製の橋は、こんな感じで老朽化していた。
現在は立ち入り禁止である。
大六海水浴場の辺りで昼飯休憩。
休憩後、ここから目的地までの時間を調べると、到着予定は15時7分と出た。
富浦駅発の電車は16時24分なので、1時間ほど待ち時間があるけど、たしか富浦駅の近くには居酒屋がない。
大蛇の様な木。
岩井海岸の手前には、海側に向かっていくつもの素敵な家が建っている。
夕陽を見ながら飲むビールは最高だろう。
昔auで使っていたナビウォークもそうだったけど、Googleマップのナビでも、徒歩モードだとこんなワクワクする道に案内してもらえる。
高崎隧道を通りたくなかったので、ナビを無視して迂回する。
漁協や雰囲気のある小浦の民家脇の細い道を通り、再び内房なぎさラインに合流。
小浦隧道を恐る恐る抜けると、岩富隧道が現れた。
⇨岩富隧道のストリートビュー
長い!!
そして、この隧道を含め富浦までは3つも隧道がある。
迂回路は無い。
Googleマップを見ると、一端海岸に出れば海沿いに行けそうだけど、そもそも青少年研修センターがクローズされているので海に抜けられる道が無い。
ふむ…ギブアップ。
岩井駅へ行く事にする。
来た道を戻りかけると、厳島神社?と書かれた案内板があり、海に向かっている急な階段があった。
しかし、誰も来ないであろう小さな神社(小浦の弁財天)の先は、青少年研修センターのフェンスが張り巡らされていて、海には出られなかった。
岩井駅発の電車は16時30分である。
1時間ほど待ち時間があるが、岩井駅にもこの時間に開いている居酒屋は無い。
仕方がないので、コンビニで酒とツマミを買って、海岸で時間を潰す事にした。
岩井海岸では、高校生がランニングをしていた。
走り終えた生徒がやって来てぺこりと頭を下げたので、少し話しをした。
「野球部?」
「はい野球です。」
「何往復したの?」
「5往復です。」
「何キロ?」
「15キロですかね。疲れました。」
「明日もあるの?」
「はい。明日が最後です。」
みんなヘトヘトで疲れきった顔をしていたけど、礼儀正しい若者達だった。
帰りのフェリーに乗り込む頃には、西の空が染まり出していた。
カヤックでも泊まりでもなかったし、目的地にはたどり着けなかったけど、いい一日だったような気がする。